月刊愛農2016年6月号より、山下惣一さんの講演録より概略。
百姓と農民は違う。農民の前進は農奴なのでは、百姓は戦闘も採集もやる自主自立の存在。なんでもやるから当然大きくなれない、大きくしてはいけない。その事について話していこうと思います。
日本は一度国が滅んで農山村に救われている。国民学校3年生の夏休みの間に世の中がひっくりかえった。戦地から引き上げてきた兵隊さんは800万人ともいわれており、日本では縁故を頼り、農山村に帰ってきた。食べ物がないわけですから。食べ物がないというのはとても惨めで、人を助けるにも自分がハラペコだとおにぎりを半分割ってさあお食べという人はいないと。だから食べ物だけは絶対に守れと。
百姓の条件5つ。第一、「自分の食い扶持は自分で賄う」。百姓の特権であり、原点。米を作らないのは百姓でないと思ってる。第二、「誰にも命令されない」。第3、「金と時間に縛られない」。第4、「他人の労働に寄生しない」。第五、「自立して生きる」。こんな生き方ができるのは百姓だけでは。
最初から百姓になりたくてなったわけでなく、嫌で二回家出をした。あるとき、仲間三人で白菜を作る競争をし、負けたくないから一生懸命やった。そしたら必ず白菜は答えてくれる、やっただけ必ず帰ってくる。それからだんだん農業が好きになっていった。松田先生の教えで「一角破り」というのがある。自分の殻をやぶることですが、なんでもいいから一生懸命に打ち込むこと。そうすることで自分の世界が開けてくる。いい加減にやっていたらいい加減なことしかわからないですよ。
松田先生の教えに百姓の五段階がある。第一段階、「生活のための百姓」.金を追い求めて、追いかけられて、振り回されて一生を終える。第二段階、「芸術家の百姓」。ものを育てる、作ることに芸術を感じる。作る、育てるのが楽しい、夢中になる。第三段階、「詩的情操化の百姓」。全生活に詩を感じて暮らす。第四段階、「哲学科の百姓」。自然の摂理に学び真実を追究することが農の哲学。何があってもびくともしません。最終段階、「宗教家の百姓」。八百万の神、つまり自然が神ですから自然の中で自然と一緒に、神と一緒に働いているという心境になること。ここまでくると百姓だと。現行の農業では「仕事」が「労働」になる。百姓は暮らしですから、暮らしのためにするのは「仕事」であって「労働」ではない。
私は大規模農業批判というものをやっている。大規模農業とは利潤追求するもの、小規模農業は暮らしのためにやる。

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